頼むから静かにしてくれ。
どうも、素数です。
事実は小説より奇なり。ってよく言いますよね。
みなさん、本当にそう思います?
ちなみに僕はそう思いますねぇ。現実に起きた大事件も小説にして見たら陳腐な物語で、一切話にならないみたいなことってやっぱりあると思うんだよね。
例えば三島由紀夫の『潮騒』では小さな島にやってきた島の長の娘(なんで島の外にいたかは忘れた)。その娘と世渡りは下手くそだが、腕っ節と人望を兼ね備えた島の若い男が恋に落ちるという話。それには恋敵がいて、恋敵は金も権力もあるけど中身がポンコツ。さらに島の長、つまり娘の父親からも反対されていた。家族はほぼ村八分みたいな状態。そんな中でいろんな難局を超えて彼らは結ばれる。
男と女の恋心はどんな波をも超えていけるんですね。
そんな物語。でも物語としてはやっぱりありがちなプロット。誰が読んでも大体途中でオチがわかる。でもこれが現実に起きていたら、それの当の本人だと思ったら「なんだこの人生!」ってなると思うんですよ。フザケンナ。
つまりはそういうこと。
事実が小説より奇怪なんじゃなくて、受け手側の想像力が足りてないってだけなんじゃないかって思うわけ。
世の中想像力が足りないってのは時としてとんでもない爆弾になる。
だから、事実が小説より奇怪に見えてしまうんじゃないかなと。
でもそう認識しているなら、自分の中の世界線では間違いではないんだと思います。奇怪に見えるから奇怪なんだ。その通りっす。
だから、小説って本当に奇妙な話じゃなきゃいけないんだと思うんですよね。例えば、レイモンド・カーヴァーの短編集 『頼むから静かにしてくれ』 のような。僕は短編ってこうあるべきなのかなと思いますね。JDサリンジャーの『ナインストーリーズ』とかもそうだけど。
いつか『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の話とかもしたいな。
あと言い忘れていたんだけど、三島は僕が敬愛する作家で、『潮騒』はその中でも特に好きな作品なんで読んでみてください。
陳腐な事実ですら三島が描くと文学になるんです。