sosu’s diary

地方国立大学。アメリカ文学。サリンジャー。森見登美彦。

水族館のガラス。

どうも、素数です。

 

今回こんな臭いタイトルにしたのには訳があって、今さっきまで目の前で友人が彼女と別れた後の大号泣をしていた訳です。

 

彼が彼女に別れを告げた訳ですが、彼はなぜか泣いていました

 

自分から別れを告げて泣いている友人を見たことはこれが初めてではないものの毎回「どうしてなんだろうか」と不思議に思います。

 

だから、聞いてみたのです。

 

彼は言っていました。別れた後の方が今まで言えなかったことをたくさん言えるようになったと。それが皮肉だと。

 

確かに。

 

人間関係って意外にも近くに見えてめちゃめちゃ遠いってことよくあると思うんですよ。どういうことかというと、僕は水族館のガラスによく例えるんですけど、水族館のガラスってあー見えて何重にも分厚いガラスが重なっているんですよ。近くに見えて絶対に届かない。温度も音も振動すらも届かない。ただ視覚情報だけは横にいるような感覚になる。皮肉ですよね。だから近づこうとして自分自身を傷つけたり、なんで向こうが自分に干渉してくれないのかと苛立ったり。

 

相手のことを思う故にお互いが傷つくっていう結構えげつい道具なんだと思うんですよ。

 

でも、嘘も方便という言葉があるように視覚的にだけでも隣にいてあげるだけのこともある意味優しさなのかなと。

 

愛ってなんだと思います?

 

相手の目を見続けるってことが愛の形だっていう人に会ったことがあるんですけど、その話を聞いた時から僕は同じ方向を同じ熱量で見続けることが愛なんじゃないかなと思うようになりました。

 

相手の目だけを見続けてしまえば、周りの景色は次第に見えなくなって視野狭窄に陥ってしまう。それじゃあ二人とも落ちていくだけ。片方が目をそらして周りの景色に気がついたら、自分の目を見てくれない相手に腹が立ち、悲しさが湧く。適度な距離感。

 

意外と近しい人との関係って難しいですよね。